2008年12月17日 (水)

歌詞

遅れましたがコメント色々ありがとうございました(´∀`)
英語の発音・・・ある意味キョーレツでしたな・・・わかっていただけに・・・。
コード進行だけ作ってもメロディが作れず、
先に歌詞書いてみるも僕が書くのは『駄文』にあるようなヤツですしね。
日本語だと言葉に合わせてメロディ作ってみると休符が無い、切れ目が無い、リズムが。
テキトーにパクった英語のフレーズだと上手い具合に。
そういった流れだったもので。
聞き取れも喋れもせぬ英語の歌詞で歌ってる恥ずかしさにくわえ発音・・・。
最初ヴォーカルにはエフェクト強くかけて誤魔化す予定だったなぁ・・・発音も歌唱力も。
聴き直すとまぁ恥ずかしいこと、予想してはいましたが。
ただ一つうっかりしたのは、せっかく英語で書いたのに韻踏むの忘れたこと。

んで再度日本語詩に挑戦してみたわけです。
結論は「やっぱ無理」と。
我が文章では音符に乗らぬ、まぁ楽譜読めないんですがね。
せっかく書いたので『駄文』に載せようかと。
結局書いてること同じだったしなぁ。

割と出来いいかな(俺採点)ってのが、サイケっぽいコレと、いかにも俺の書いたものだなぁと感じるコレと、多分一番歌詞を意識して書いたコレ
コレは恋愛もののつもりだったヤツで、コレは書きながらすぐ飽きたヤツ。
で、日本語の歌詞書けないことをなんか開き直って書いてみたのがコレ
アホっぽくて悪くないかもだなぁ。
後はグダグダ。
ひねくれてるだけのコレ、くだらな過ぎて脱力なコレ、もはや性格が一定してないコレ

以上何時間かでまとめて書いたヤツ全部です。
書きなぐりとはいえ、曲作るきっかけにするべく意識して書いたもの・・・な筈なのになぁ、いつもと同じじゃん。

なまじ文章書くの好きでしたからね、子供の頃から、作文得意だったし。
どうしてもヒネリとか入れちまうんだな、俺は。

まぁとにかく曲作って人様に聴いてもらったというのはイイ経験でした。
初めてでしたよ、作曲なんぞ。
さらっと書いた歌詞を見ながらヴォーカルを録音。
自分で書いたクセに覚えてないから。
んで一回目で歌詞間違える。
二回目でもリズム間違う、そりゃそうだろ、録音する前に練習しやがれ。
三回目で噛まずに歌えた。
それで聞き返すこともせずPCにうつしてアップして。
とにかく急いでましたな。
なんにせよ波が激しい性格なもので。
ようつべにアップしてみようと思い立ってから2番の歌詞書いてギター弾いて。
ミスしても気にせず、しかも『ギター(エレキ)は立って弾く』ポリシーゆえ、突っ立って乱暴にセッティングも変えず。
テンション下がるのが恐ろしかったワケです。
だって他人に自作曲なぞ聴かせたこと無いのにいきなりようつべに決めましたからな、思い立ったテンション維持してなきゃとてもそんな勇気出ない。
しかしまぁ良かった、行動に移せて。
今度は少しぐらい練習してから録りませう、言い訳もまぁいいじゃないですか、しばらく沈黙してましたから。
何度削除しようと思ったことか・・・時間たった今だからもう平然と言い訳できるね。
わざと音外して弾いたギター、ああいった飛び道具的なことやると恥かくなぁと学びました。
今現在聴き直した感想は
「素人が作った可も無し不可も無しといった感じで、取り立てて惹きつけるものも無い、かといって酷いという程も無く、何でも無い曲」
といった感じ。
フツーなメロディ、歌も演奏もフツーの素人レベル。
ただ英語の発音と音外してんのは赤面ものだなぁ今でも、特に英語、発音、ああこっ恥ずかしい。
『新聞棒読み』の歌詞で作ってみようかなぁとか思ってみたり。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月13日 (土)

クズニゲーン

慢性膵炎。
そう診断されてもう何ヶ月か。
「酒飲んだら本当に死ぬよ」
と、一生金には困らないであろう優秀なドクター様に忠告いただきました。
んでもうずっとアルコール漬け。
「早く寿命よやって来い」
といった感じですな。
だって自殺なんて怖いもの。
昔の彼女、というより腐れ人生の中の唯一の彼女。
あのコは飛び降り自殺だったな。
俺なんかよりよっぽど勇気あるなぁ、付き合ってた頃は俺に頼ってばかりだったクセに。
持病なんて自業自得だぜ。
心の病だろうが先天性の障害だろうがそれが己という生き物だ。

パチ屋だのコンビニだの面接受けたりしたがね。
先のことなんて考えてない、考えたくも無い。
オリジナル曲なんて作って公開してみたのも、ほんの少し夢見たかっただけ、浮かれて居たかっただけ。
皆さんコメントありがとうございます、嬉しかったです。
曲作ったのもそれをアップしたのもバイトの面接受けたのも全部クスリのおかげ。
アッパーが無いと何も出来やしない。

あくまでたった今現在の心境。
酒はシラフよりマシだけどやっぱ味も酔いも好きじゃ無い。
早いトコ発作でも起きてこの世から消えたいものだ。
イヤ、死にたくは無いのだがね。
ただ、生きているのが嫌だ、起きているのが嫌だ、シラフでいるのが嫌だ。
大量のドラッグがあれば寧ろ長生き出来そうな俺。
しかしする必要なし。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月 5日 (水)

是非とも聴いて欲しくて

オリジナル『GOOD FOR NOTHING』。

好意的なコメントを頂けました。

もっといろんな人の感想が知りたいので、またもしつこく。

↓『GOOD FOR NOTHING』
http://jp.youtube.com/watch?v=xrhQqXXlLHk

↓『GOOD FOR NOTHING(ケータイ用)』 iモーションを『ストリーミング再生』に設定すれば聴けます。
http://m.youtube.com/watch?v=xrhQqXXlLHk&cmv-google&gl=JP&hl=ja&guiON

どうか感想を・・・。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2008年11月 1日 (土)

オリジナル曲アップロード

すべて自宅録音にて製作された弟との二人組バンド、虫(仮)。
タイトルは先の日記に書いたとおり『GOOD FOR NOTHING』です。
ようつべの説明欄にも書きましたが、一応メンバー紹介。

・T(a.k.a.vegetableman、ベジ、兄、というか俺):ギター、ヴォーカル
・S(a.k.a.セジヤ、弟、というか弟):ベース、プログラミング、ミキシング

この曲は歌詞、曲ともにT氏。
彼はギターを3チャンネルも使いました。
・ひたすらコードのみ
・それなりに作ったフレーズ
・間奏、ラスト部分での素人コード無視アドリブ・ソロ

ウリはS氏のベース。
スタートしたばかりなクセに、このバンドのサウンドの核はベースだな、と思い込んでおります。
ヤツは一瞬で作っちまいましたからねぇ、ベースライン。
ほとんど一発撮りなので音外したりギターとちったり。

使用機材はBOSSのMTR、PC、ギブソン・レスポール、リッケンバッカー4003です。
今、精神がハイになっており、どんどん作れそう、まだ最初の曲の反応もわからないクセにね。
好評ならライヴとかやってみたいなぁ、極度の緊張に起因する無様な結果が予想できるけども。

僕は、「イイ声してる」とお褒めの言葉に与ったことが過去幾度かあります。
低くて甘く、チョイと疲れたカンジなんだそうな。
もちろんそれは普段の声、喋ってる時の声ですな。
電話で話すと声が一段低くなるので、電話による口説きは何度か成功したことが。
しかし歌声となると話は別。
ヴォーカリストとしての我はどんな評価なんかな、上手くないのはよく知ってるので声質のほう。
本格的にバンドやるなら、ドラムとヴォーカルが欲しい。
特に歌詞を書けるヴォーカリスト。
洋楽マニアな僕はどうしても英語の方が書き易い、内容があるかは別として。
日本語で歌詞書けて、それなりに歌えて、趣味やセンスの合うヴォーカリスト。
ルックス良ければ言うこと無しですな、我々の場合体格は別としてツラがとにかくダサい。
ブサでもキモでも無い(多分)が、そこら辺に幾らでも居るような実につまらない顔。
そいえば「イイ声だけど顔と合ってない」と言われた事も数度

よかったら聴いてみて下さい、更によかったらコメンツ下さい。
GOOD FOR NOTHING

タイトルが「オリジナル曲アップロード」だが、オリジナルも何もコピー曲すらアップしてないじゃん、と気付く。

Prfl

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2008年10月31日 (金)

オリジナル曲

現在のところ『Good For Nothing』とゆうタイトルの曲のみ。
デモをMTRに録音してありますが(1コーラス目のみ)、日の目を見ない可能性を考えてせめて歌詞だけでも、と。
まぁ歌詞だけなら他にも沢山あるんですが。

色んな曲からフレーズをパクってたり、文法が間違ってたりするかもしれませんがまぁ気になさらず。


『Good For Nothing』

I always try, I always miss
I fight sometimes, I lose everytime

The world full of dirty that make me sick
I've run away from my life that lets me down

I'm good for nothing, I'm good for nothing
Nothing's good enough for me

I lost my mind, I'm all alone
I've lost my control scared of going mad

I make a kind person turn the cold one
I've been crying in bed at all times by myself

I'm good for nothing, I'm good for nothing
Nothing's good enough for me


『役立たず』

俺は何かやってもいつもダメにしてしまう
時に闘ってみてもいつも負ける

嫌な事だらけのこの世界は俺を落ち込ませる
俺は自分のダメな人生からずっと逃げてきた

俺は役立たず 俺は役立たず
いいことなんか何も無い

俺はおかしくなっている 俺は一人ぼっち
気が狂うのを恐れて気が狂いかけている

俺は優しい人にさえ愛想をつかされる
結局いつも一人ベッドで泣いている

俺は役立たず 俺は役立たず
いいことなんか何も無い


・・・いざ訳してみると、英語で書いても相変わらずのネガティヴさ。
でもそんな自分が嫌いじゃないという悪循環。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

慢性膵炎

こないだ病院で撮ったCTスキャンの結果出ました。
慢性化しておりました。
慢性になると、何の原因も無く膵炎を起こしたり、糖尿になったり、果てはガンになったり。
慢性膵炎になると平均寿命が20年ぐらい短くなるそうな。
とすると僕の寿命は恐らく50から60といったトコでしょう。
もちろん酒はもう一生飲むつもりは無いし、脂肪分の摂取にも気を付けるつもりですが、何分へヴィー・スモーカーですしねぇ。
「やめられない」のでは無く、「やめたくない」もしくは「やめるつもりはない」。
その他、およそ健康的とは極めて言い難い生活スタイルを考えると40ぐらいかも。

しかし今のところ、全く悲観してないです。
何となく「先の見えない人生」だったのが、「残り少ない人生」に思えるようになり、精神的には寧ろ抑うつの状態が良くなってきたような。

弟とスタジオで演奏してるのをケータイ辺りで撮影し、YouTubeにアップしようかなぁなんて考えています。
ケータイなら画質の悪さゆえに顔がわからないし、音質の悪さゆえに下手糞さがやわらぐだろうし。
コピー曲以外にもオリジナルもやってみようかなぁと。
「ネット上でも旅の恥は掻き捨て」とゆうことで。
今のところ一曲しか作ってないんですが、しかも歌詞英語。
洋楽マニアゆえに英語の方がすらすら歌詞が作りやすい。
もっとも大して意味の無い歌詞ですがね。
ためしに我が愛犬、ユキの動画なんぞアップしてみました。

ペットショップに居た頃のユキ(ケータイで撮影)

スリッパをくわえて逃げるユキ

Decoimage

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月22日 (水)

機材と弟

何故か音楽機材がやたらと家に。

無職の俺ながら、ケータイの懸賞で100万を当て、それをつぎ込んだことも。
しかし一番の理由は弟。

腐った兄とは正反対の真面目な人生を歩むサラリーメンの弟。
薬はモチロン、タバコも吸わず、酒も付き合いで飲む程度。
愚痴一つこぼさず毎日残業。
休日はずっとPCの前に座っている、仕事で一日中PCとにらめっこしてるクセに凄い男だ。
そいえば就活の時、自己アピールとして
「一日中パソコンと向かい合ってても平気です」
とか言ってたような。
そんな弟の趣味は音楽とファッション。
一時はディオールなんかにハマったりもしていたが、最近は食傷気味なのかあまり興味無さげ。
そして音楽。
ヤツが聴くのは全て俺が薦めたもの。
すなわち俺のCDをPCで圧縮して聴いている。
音楽知識の割に自分では全くアルバム買ってない。
そんな弟の預金通帳をふと見る機会が。
500万っておい・・・。
俺より3つ下だから28。
金持ってんなぁ・・・。
自分で音楽作ったりいじったりするのが好きな性格。
なのでヤツが色んな音楽機材を買うワケですな、「他に金の使い道ねぇし」とか言って。

まず楽器
21_2 ・ギブソンのレスポール・スタンダードのリミテッド
スタンダードのエボニーを買うつもりで行った楽器屋にて、『PACIFIC REEF』なる色に一目惚れ。
基本はスタンダードだが、指板がエボニーだとかその他細かいトコが色々異なる。
スタンダードより数万高かったが、懸賞成金の俺は気にもせず。
ネットで調べても海外サイトぐらいでしか紹介されてない。
レスポールとはいえ人とかぶることは無さそう。
コレが我が愛機。
太ももまで下げて弾くのがポリシー。
最近フィクサーというパーツを付けてみた。

Car6szrl_2 ・リッケンバッカーの4003
弟の愛機、因みに限定カラー。
弟は生まれつき爪が長い体質で、ギターは無理ぽいがベースなら、という始まりだったのでベースに。
しかしいつの間にかギターもフツーに弾けるようになってやがった、しかも俺よりう(以下略
俺のしつこいこだわりにより、ヤツも構えは低い。
リッケン・ベースの音色は個人的に大好き、当然リアの。

その他
・フェンダーのテレキャスター
・エピフォンのカジノ
・リッケンバッカーの360/12
・フェンダーのジャズベース(5弦)
・エピフォンのレスポール・カスタム
結構前にヤフオクにて1万ウン千で入手した代物。
値段の割に丈夫でまだまだ使えそう、音色も良く弟のお気に入り。
・数ヶ月前に買ったヤイリのエレアコ
確か10万以上。
金出したのはモチロン我が弟。
「アコギも一本はあった方がいいだろ」
という理由で購入、いじるのはもっぱら俺のみ。
弟は大金払った割に、別にどうでもいいぐらいに思っているようだ。
ヤツは最近ジャズマスターが気になる様子、ダイナソーのJの影響で。
二人して楽器屋で試奏してみたことも。
どこまで増えるのか、ギター。

他には確か20万以上のコルグのキーボード。
弟が随分前にいきなり買ってきた。
全く使われていない。

あとエフェクター
BD-2、OS-2、CE-5、NS-2、CS-3、ODB-3、全てBOSS、あとジムダンのクライベイビー。
大学生の頃ふと入ったパチンコにて勝った金で買ったマルチ・エフェクターはヘッドフォンしての部屋弾き用。
あと、BOSSのMTR、LINE6のアンプ・シミュレイター等、モチロン弟。
アンプは15W辺りのをテキトーに、マーシャル、VOX、フェンダーとか。
シールドはモンスター・ケーブルとか、コレも弟が購入。

おい、総額いくらだよ、100万超えてるだろコレ。
テクニックが機材に全く追い付いていないとか、そんなのもう今更って気分。
そういや弟がローランドの電子ドラムに興味を示してた。
ヤツならウン十万平気で出すだろうなぁ。
家の中には、姉が小学生の時に買ったピアノ、父のクラシック・ギター、弟が気紛れで買ったバイオリンまで。

何なんだろう、この家。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月21日 (火)

泥沼

日記書くの久しぶり。
ずっと現実逃避してると時の流れがあっという間。

まず体の方ですが。
アルコールはきっぱり断ち、脂肪を控えた食生活をしていたのですが。
もともと『重症中の重症』と言われた位の症状だったせいか、知らぬ内に何度か再発をしていた模様。
医者からは「慢性化した可能性がある」と。
慢性膵炎になった場合、フツーにしてても膵炎をよく起こすようになり、一年の半分以上を病院で過ごす人も居るそうな。
膵炎は激痛が特徴なので、もしそうなったら日常生活が・・・。
しかし、血液検査や尿検査により、何度か膵炎を再発しているということが分かるのですが、自覚症状全く無し。
医者は「フツーはのた打ち回るモンなんだけど・・・凄いね」
と良いのか悪いのか。
入院したのはもう一年も前ですが、未だに後遺症が・・・というか最悪のケースになるかも。
でも別に悲観もしてない僕はもしかすると既に人生をあきら(以下略


心の方はいつも通り・・・なんですかねぇ・・・。
ここ1、2ヵ月は一度やめたはずのブロンに溺れる始末。
そいえば先月体に異常が。
ブロンのせいなのか栄養失調のせいなのか、体中、特に足に出来物が沢山。
ボリボリかいたらすぐに出血。
薬でホゲーとして食事もせず睡眠もロクにとらぬ日々、気が付けば両足カサブタだらけ。
その後は一応ウィダーとかカロリーメイトとかとるようにしましたが、傷跡は痛々しいほどに残っちまいました。
もう人前で足見せれないですな、皮膚病みたいだ。
自傷の傷跡も色々残ってるし。
ついでに口の中じゅう虫歯だらけ。
もう体の中も外もボロボロですね、僕チャン。

せめて何か少しでも外に用事を・・・。
歯医者も行くべきだし車の免許もとろう、そう思って何ヶ月先延ばしにし続けてきたか・・・。
高校生の頃にバイクの免許はとったので、学科については確か2つぐらい受けなきゃならないものがあったと思いますが、学科試験はナシ。
教習所でも免許センターでも。
つまり技能だけ。
コレはかなり嬉しい、だから行こうや俺・・・。

今でも何かでコカインだのヘロインだのといった文字を目にすると、憧れのような感情が芽生える俺。
要するに変わってないのだな、何年たっても。
失敗等から学ぶことも無いのだな、俺は。
繰り返しのダメ人生、環境はますます我にとって厳しく。



チョイとステキなものを見付けました。
教えてgooの恋愛相談
質問読んだだけで凄過ぎです。

200808170216001

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年6月11日 (水)

パニック障害

7、8年ほど前、パニック障害に苦しんだ時期がありました。
それは自分の心が自分で全く制御できない、という体験でもありました。
そして『薬』というものに対する考えがすっかり変わった出来事でもありました。
なんか振り返ってみたくなったのでダラダラと回想。

大学1年の夏休み、なんだか息苦しさを感じるようになった。
ひどいという程では無かったけど、息苦しさを感じる日々が続いた。
自分は小児喘息があったから、それが原因だと思い、喘息の治療をしたけど少しも良くならなかった。
近所の内科では、精神的なものが原因と言われ、デパスをもらった。
精神的な効果のある薬、例えば各種違法薬物なども、そういったもの全般が当時は大嫌いだったし、精神的なものが原因だとは自分では思わなかった。
だから少し飲んで、「効かない」とすぐ飲まなくなった。

息苦しさを我慢しつつ学校へ通っていたある日、電車の中で急に苦しくなり、妙な違和感に襲われた。
呼吸が急激に苦しくなって体が痺れてきた。
痺れがどんどん広がり、ワケがわからなくて
「息が苦しい」「体がおかしい」「ヤバイ!なにか凄くヤバイ!」
と凄い恐怖感と何か逃げ出したいような気分になった。
あわてて次の駅で降り、すがるように駅員さんに、気分が物凄く悪いと伝え、救急車を呼んでもらった。
病院に着いた時には、その安心感もあってか、いくらか落ち着いていた。
医者は、自分が普段から息苦しさを感じていて喘息の治療をしている事を話すと
「息苦しさで呼吸が早くなり過呼吸を起こした」
と診断し、結局点滴打っただけで帰った。
病院の近くの駅から帰りの電車に乗ると、何だかわからない恐怖感を感じた。
降りるまで続いた。

そして電車に乗るのが恐くなった。
息苦しさを紛らわす為にのど飴をずっと舐めながら、学校まで一時間電車に乗った。
電車の中では息苦しさばかり気になって、乗っているのがとても苦しかった。
あの時みたいになるんじゃないか、とあの猛烈な恐怖感に対する恐怖も感じた。
「あれは初めて過呼吸なんて起こしたから、ワケがわからなくてビビっただけだ」
と言い聞かせてしばらく通った。
狭い教室が苦しくなった。電車に乗る苦痛も増すばかりだった。
やがて学校へ行かなくなった。
自分が精神的な病気だとは認めたくなくて、休んで喘息の治療を続けた。
少しも良くならなかった。
だんだん病院の待合室にいることさえ苦しくなっていった。
その病院さえも行かなくなった。

母にすすめられ、メンタルクリニックへ行く事になった。
家から原付で30分ぐらいの駅前のクリニックだった。
待合室で苦しくなった。
耐えられずに帰ってしまった。
クリニックから原付の置いてある場所までが遠く感じた。
「逃げた」という自責のせいかとても息苦しくなり、恐かった。
家から遠ければ遠いほど恐かった。
「何でもっと近くに無いんだ、近くなら行けるのに」
と理不尽に怒り、そして絶望的な気分になった。
それから家に籠もるようになった。

かなりのアレルギー体質でもあったので、息苦しさの原因をアレルギーのせいかもと考え、部屋のアレルギー対策をしたりした。
あの恐怖は、過呼吸のせいで起きた一時的なものだと懸命に言い聞かせ、少しずつリハビリしていけばすぐ良くなる、と必死に思い込んだ。
しかし外出距離はどんどん縮まり、ついには近所を散歩することさえ恐ろしく感じるようになっていった。
少し家から離れただけで恐くなった。
そして家から一歩も出なくなった。
「息苦しささえ治ればまた外へ出られるのに」
と考えて、良くなる日をあても無く待ちながら過ごした。
窓の外を普通に歩いている人を羨ましく思ったりした。

見かねた母は、精神科に行き、症状を話した。
医者はもちろん治療をすすめ、薬は本人が来なければ出せないと言った。
しばらくして行く決心をし、内科でもらって残っていたデパスを何錠も飲み、母の車に乗った。
『精神安定剤』という言葉に必死にすがりながら、車の中でも何錠も飲んでいた。
病院へは、母がいったん先に受付をして、待たなくてもいいようにしてくれていた。
落ち着かず歩き回り、数分して診察室に呼ばれた。
まだ心の病についても、薬についても何も知らなかった俺は、とりあえず、と医者が処方してくれたセパゾンを喜び、これを飲んでいればまた外に出れるんだと嬉しく思った。
薬に頼っていても、また学校へ通えるようになるならそれでいい、薬が自分を助けてくれるんだ、と薬というものを物凄くありがたく感じた。
セパゾンは、デパスより効果が弱く、効き目が少し長い、というだけの単なる安定剤だったのだが。

結局飲んでも変わらず、また病院へ行った。
前回とは違う医者は
「それはパニック・ディスオーダーという病気。でも大丈夫、凄くいい薬があるんだよ」
と、パキシルという薬について話し始めた。
医者は陽気な老人で
「これは凄くいい薬でね、他の薬とは種類が全然違うの。パニック・ディスオーダーに凄く良く効くんだよ」
と大声で何故か誇らしげにそう説明した。
「コレ飲んでれば絶対良くなるから」
と陽気な老人に言われ、その日からパキシルを一日一錠、三食後にセパゾンを飲み始めた。
息苦しさはある程度良くなっていった。
薬の効果に期待しながら、また少しずつ外出するようにした、リハビリ気分だった。

春が来て、復学することになり、その手続きをしに学校へ行くことになった。
「ここが勝負だ。ずっとパキシルとセパゾンを飲んできたんだから、前よりずっと良くなってる筈。息苦しさもだいぶ良くなった。だから行ける。一度行ければきっと楽になる。俺は行ける!」
と必死に気合いを入れ、緊張しながら電車に乗った。
不安を紛らわす為に、電車の中で姉や弟にメールを送った。
彼らは送るたびすぐに返事をくれ、おかげでメールで気を紛らわす事が出来た。
「こんな優しい家族が俺にはついてるんだ」
と心強さを感じ、嬉しく思った。
そのおかげか、薬のおかげか、その日の自分の決意のたまものか、かなり楽な気分で乗っていられた。
着いて駅を降り
「自分は今家からとても遠い場所にいる」
という考えが頭をよぎったが、恐怖は感じなかった。
学校へ着き教務課で手続きを済ませて外へ出た時
「自分はもう大丈夫なんだ」
と物凄く嬉しくなった。
大きな仕事をやり終えた気分だった。
駅へ歩きながら嬉しくて自宅に電話して
「全然大丈夫だったよ」
と母に報告した。
駅前に、自分が休学する前には無かった古本屋を見付け、調子に乗って入ったりした。
何となく漫画を見回しつつ
「ほら、俺はもう大丈夫だ。良くなったんだ」
などと嬉しく思った。
家に帰り
「まだ完全に良くはなってないだろうから、しばらくは緊張するだろうけど、いずれ慣れるよ。自信が出来たし」
なんて上機嫌で話した。
息苦しさはもうほとんど無くなっていた。
自分にとってはとても勇気のいる事を成し遂げた自分に、一つ許した。
「少しでも調子が悪くなったら、引き返しても良い。まだ完治はしていないのだから。少しずつでいい」
と。

講義を受けるとなると教室に閉じ込められる。
それもきっと出来ると信じた。
ただ1、2年は必修に語学があり、それは少人数のとても狭い教室で行われる。
さすがにそれはキツイと思った。
1年の途中で行かなくなった為、2年になっていた自分は2年分をとらなければならなかった。
しかも語学は埼玉の校舎でしか受けれず、3年になったら東京の校舎に通う事になっている。
結局語学は一旦あきらめる事にした。
広い教室で、ほとんど取れてない単位を多く取ることにした。
語学は翌年に再履修として受けることにした。
狭い教室に一時間半も閉じ込められると考えると、やはりまだ不安だった。
3年になったら、東京と埼玉の校舎両方に通う、という面倒な方を選んだ。

実際に3年になった時、東京埼玉両方通って、何とか2年分の語学の単位を取った。
余談だが、自分が卒業する翌年に大きな変更があった。
自分の頃は、1、2年が埼玉、3、4年が東京の校舎というシステムだったが、埼玉の校舎は新たに設立された学部用の校舎となり、通常の文系学部は4年間東京の校舎、となったそうな。
ちょっと悔しい。

復学して、緊張したのは最初だけで、すぐに慣れていった。
「パキシルとセパゾンをきちんと飲んでいる限り、もうあんな事は無い」
と信じていた。
逆に言えば、薬をやめるなんて考えられない事だった。
「これからもずっと飲み続けなきゃならないんだろうか」
などと考えたりもしたが、毎日の習慣になったせいか、薬を飲んでいる事はあまり気にならなくなっていた。

やがて原宿や代官山に買い物に出かけられるようにもなっていった。
何度か少し不安を感じ引き返した事もあったが、自分を責めないようにし、学校や電車よりは遥かに気楽な地元の駅周辺をうろついて帰ったりした。

自分がパニック障害という病気だと知り、ようやく分かったあの時のような『パニック』の発作も、薬を飲んでいるから大丈夫、と気にならなくなっていった。
ずっと薬を飲み続けている事はやがてほとんど気にしなくなった。
4年になり就職活動で東京の色んな所に説明会を受けに行ったりしたが、ほとんどパニックを意識する事は無くなっていた。

パニック障害についてはこんな感じです。
しかし息苦しさは自律神経失調症だったんですかねぇ…。
まぁあの頃苦しんだものについては、一応良くなったのだしいいか。

しかしパニックの良くなっていた学生時代後半、また別な問題が起こり始めていたのでした。

続く…かも知れない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月10日 (火)

とんでもないような事が、幸せだったと思う

最近フツーのタイトルだったもので。
モチロン全く意味無いです。

新しい病院には二度ほど行きました。
『クリニック』って名前のとおり凄くきれいで、待合室もフツーの人ばかり。
それだけで好印象。
なにせ僕がずっと通ってた病院はかなり重症の人の為の病院らしく、待合室にはマトモそうな人がほとんど居ない。
皆さん顔の表情がフツーでは無い。
入院用の病棟を備えたトコだもんなぁ。
昔パニックになった時、家から比較的近いという理由で行った病院。
今は慣れましたが以前は待合室がイヤでたまらなかったです。

んで二人の先生と話して、まぁ『抑うつ神経症』でしょうな、と。
自分の症状や性格、過去の引きこもりとか色々整理して書いた紙持ってったんですが、『不安神経症』とか『適応障害』とか、さらには『脆弱』とか言っていただきました。
良さそうだったんですが、ベタナミンを出してくれない。
まぁ出来るだけ薬に頼らず治していきましょうって話なら出さなくても無理は無いですが。
しかし僕ちゃんは薬好き。
メタンフェタミン、メチルフェニデート、メチルエフェドリン、そしてペモリン、と中枢神経刺激薬に飢えてるような。
結局元の病院に戻り、今日薬もらってきました。
「あまり薬に頼り過ぎない方がいい」
と忠告もらいました。
そして今はベタナミン大量にスニってる状態。
じゃ無いとほとんど日記書かないですしね。
ベタナミンもいつ規制されるやら。

今回自分にとって凄く良かったのは、『うつ病』では無く『神経症』ではと気付き、新たな病院に行く事に決め、あらかじめ自分を整理したノート書いたこと。
自分から逃げ続けてきた己が客観的に自分を時間かけて分析した、それが良かった。
要するに『神経症』なのだ。
『神経質』と言ってもいい。
自分も家族もそう思ってたけど、それについてじっくり考えたのは初めてだったかも。
思えば神経質さを初めて露骨に露呈したのは中学二年の時。
北海道から千葉に転校したんですが、環境の何もかもに馴染めず登校拒否。
以降辛いと家にこもる人間に。
それまでは割と家に居ないコだったのに。
その尾をずっと引きずってるような人生。
そりゃポロッと「脆弱」って口にもされるわな、って感じの引きこもり半生。
整理して書いた時我ながらウンザリしたものですが、同時に時間はかかっても一応立ち上がってはきたのだな、とも。
中学は数日しか行かなかったけど勇気だして近所の高校受験して通った。
なまじ近所だけに中学時代の登校拒否を知ってる連中がたくさんおり、しかも偏差値ひとケタレベルの高校(因みに現在は廃校)だったからヤンキーが多く、最初は少しいじめられたものでした。
パニックになって大学休学しちゃったけどしかし頑張って復学してなんとか卒業はしたし。
就職はできませんでしたけれども。

そんなワケで自分の弱さや逃げっぷり、時間かかってもなんとか立ち直ってきた過去を実にじっくりと見つめる機会になったのです。
そこから、自分に必要なのは休養では無くむしろ何かをすることだ、と。
抑うつなんて言ったって元から神経症的な性格じゃねぇか、と軽い開き直り。
ヒステリックな性格だったけどまさか車で人混み突っ込んで人切りまくるようなことは絶対無いし。
自殺したいとも思わないし。
思えばいつからか自分の事を『なんだかんだしぶといヤツ』とは感じるようにはなってました。
病気で死にかけてもよみがえってきたし。
とはいえ「じゃあ何する」って話になると「うーん…そうねぇ…」とか急激にめんどくさくなってしまうのですが。

そいえば新しい病院最初に行った際はまだベタナミン出さないって知らなかったんで、元の病院に紹介状頼んでました。
結局戻った今日、必要の無くなった紹介状を受け取り、ちょっと緊張しながら中見てみました。
『パニック障害、抑うつ状態』って書いてありました。
そのあと、パニックになった時のこととか処方した薬の事が。
うーん…パニックは一応良くなったって言ってある筈なのに…。
それにしても『抑うつ状態』って書くんですな。
『遷延性うつ病』ってのは自立支援の申請の為だったんですかね。
思い出すと『抑うつ神経症』という言葉をここ一月で三人の精神科医に連呼したけど、みんな「その可能性が高いですねぇ」とか別に病名はっきりさせる気無さそうだったな。
その病名にひたすらこだわって色々した自分、『物事に執着する』というのも神経症的性格の一つだそうな、ウフフ。
何かで『軽度のうつ病と抑うつ神経症は区別しない』みたいな事書いてたし。
乏しい知識で大雑把に説明すると『うつ病』は病気であり、『抑うつ』は神経症であると。
うつ病は病気であるから、本人の意思とは関係無く症状に苦しむ事になる。
「うつ病の人に頑張れと言ってはいけない」というのも、本人が頑張りたくても力出なかったりするんだから当然でしょうね。
因みにうつ病の人は自殺願望を抱きやすい。
でも『病気』だから治る。
薬物療法がかなり効果的だそう。
抑うつは神経症、言ってしまえば『性格』。
何というか「落ち込んだ状態に捉われてる」というか。
自殺願望を抱くことは少ない。
ただ性格が原因であるから薬物療法は効果が出にくい。
僕も抗うつ剤はパキシル、アモキサン、トレドミンと飲んできましたが、飲んでも止めても何も変わらず。
言ってしまえば一生付き合っていくようなもの。
治る、って感じじゃ無く、「前より良くなったみたいだけど、元気あるワケでも無いし、でもまぁいいのかな」みたいな感じだそうな。
要するに性格変わらない限り重かれ軽かれ、何かしらの神経症とは離れられないみたいね。
だから考え方を変える認知療法なんかもあるらしいです。
『森田療法』は「神経質とともに生きる」みたいな感じのかなり有名な療法で、母が二冊買ってきてました。
角度の鋭いナナメ読みを決行してみましたが、不安を無理に消そうとせず受け入れよ、とか恐れている事に飛び込んでいく『恐怖突入』によって自信を獲得していく、とか薬に頼ってはいけない、とか。
最後のは僕ちゃんとりあえず無視。
つまり「神経質な自分を受け入れる」って事みたいです。

そいえばうつ病の人は『他人本位』な人が多いそうです、自分よりも周囲のことを考えるという。
神経症の人は『自分本位』で自分のことばかり考える人が多いそうです、うへへ。
たとえば仕事にやる気が出なくなってしまったとき、うつ病型の人は
「周囲の人に迷惑をかけてしまう」
と苦しむのに対し、神経症型は
「どうしよう、俺、どうなっちまうんだろう」
って不安になるとか。
自分が神経症だと判断する根拠になった、神経症になりやすい、或いは神経症の人に多い性格とは
『神経質、自己中心的、プライドが高い、一つの物事に執着する、心配性、劣等感を感じやすい、自分に自信を持てない、悲観的、傷つきやすい、落ち込みやすい、過去のことにクヨクヨする、人間関係が上手くいかない、臆病、気分が変わりやすい、依存傾向が強い、甘ったれ』
などなど、まるで自己紹介だ。
更にそういった人間が
『物事を甘く考え、厳しい現実の壁にぶつかった時』
とか
『親しい人の死や失業といった何らかの喪失や大きな環境の変化を経験した時』
等に抑うつになるんだとか。
んで
『軽度のうつ状態が2年以上続いた場合』
に『抑うつ神経症』とか『神経性抑うつ』と呼ぶらしいです。
もっともこの病名は昔の言い方で、今は『気分変調症』とか『気分変調性障害』って呼び名をするとか。
気分が変な調子って書かれてもなぁ・・・なんか好きじゃないですなその名前。
何だか精神状態が異常な状態に陥りやすい病気、って感じで。
まぁ僕は
『適応障害的薬物依存型怠惰現実逃避性抑うつ不安神経症』
すなわち
『ダメ人間』
ということで。

滅多に書かないクセにいざ書くと長いなぁ俺の日記。


ところでYouTubeで見付けたお気に入りのもの。

『オマリーの六甲おろし』
ここまで凄いと寧ろ魅了されます。

『ムスカの声そっくりの歌』
リズム感も魅力。

『歌を歌うチワワ』
可愛過ぎ。顔はウチのユキに似てます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«薬